平手友梨奈は結局何がしたいのか、平手友梨奈をどうさせたいのか②

前回書いた記事。

 

その続き

 

 

はじめに

前回の記事は活動内容から見て何がしたいのか、どうさせたいのかといった内容だった。

今回は発言と活動内容から何がしたいのか、どうさせたいのかを書く

 

前回の記事にもあった通り、活動内容だけ見れば少しは擁護できる面もある。

運営も運営で悪いと思ってるから。その待遇許すけやかけ(どれほど携わっているかわからないが、そもそもこの番組の企画は秋元康なわけだが)も悪いと思ってるわけだから。

 

そう思ってた2018年あたり。

 

 

映画「響」に関するあれそれ

しゃべくり出演での不信感

2018年9月3日に映画「響 -HIBIKI-」の番宣として北川景子共に出演した。

この回で平手のことを「あれ?」と思い始めてきた。

 

一番引っ掛かったのは欅坂のオーディションに受けた理由を適当にしたことだ

 

欅坂の冠番組のけやかけ(2016年6月27日放送)では、

 

「中学2年生のときにたまたまTVでやっていた乃木坂の制服のマネキンのMVを見て、それが衝撃的で、それで乃木坂に興味を持ったので、欅坂に応募した」(要約)と言っている

 

しかし、しゃべくりでは、

MCの「どんな流れでアイドルになろうと思ったの?」という質問に対し

「オーディションをやってて…」と答えた。その答えに対し、

「なりたいから行ったんだよね?」と質問するが首を横に振った。

「ちょっと行ってみようぐらいの感じ?」と聞かれたら「本当にそんな感じ」と言った。

 

乃木坂のエピソードどこ行った?

 

また、このアイドルのきっかけの話から

「でもダンスで人に喜んでもらいたいと思って一生懸命やってるんでしょ?」と話を振られるが、返答は「ん~」のみ(北川景子が「いややってるんだよ!やってる!」と助け船を出す)

 

 

平手は今何を考えているのか本当にわからない。

平手はどのインタビューでも「歌を届けたい」という旨をよく言う。

え?その感情なんだった?毎日違った感情だった?

 

憶測でしかなかったが、私は平手は歌やダンスを披露したいから不調な中でも活動しているのかと思った。

 

個人的なことなのだが、アイドルに影響を受けて自身もアイドルを目指す人がすごくかっこいいと思っている。

(別に、歌って踊りたいからアイドルになりましただとか、知り合いが勝手に書類送りましただとか、芸能人と関わりたいからアイドルになっただとか、そういった人がダメなんて言うつもりはさらさらない。

ただ単に、自分はそういうアイドルを好ましいというだけで、他の理由がマイナス評価なんてことは全くない)

 

だから、余計に悲しかった。

売れた今や影響を受けた乃木坂なんてどうでもいいのかとすら思った。

 

……といってもこれは性格の悪い見方で、過度に好きになってしまった自分も悪いと思う。

もしかしたら、冠番組に長らく出ない間に不慣れになってしまっただけかもしれないし、いくら映画撮影中一緒でプライベートでも仲が良くなった北川景子と一緒とはいえ欅坂として一人で出ることに緊張していただけかもしれない。

 

実際、乃木坂のエピソードがすっぽかされたくらいで、

「(乃木坂で興味を持った坂道アイドルの)オーディションがあったから(合格するかは知らないし本当にアイドルになるかはさておき)なんとなく行った」かもしれない。

 

また、別のインタビュー(平手友梨奈 欅坂46に加入した理由 「頑張る」を言わない子だった― スポニチ Sponichi Annex 芸能)では「何かの目標に向かって全力で頑張ってみたいから受けた。乃木坂が元々好きだったから欅坂を受けてみようと思った」(要約)と言っているが、”アイドルになりたい”とは少し違うため、だから「なんとなく」になってしまったのかもしれない。

 

 

 

え?そんなことある?

無理がある

 

 

ソロ曲「角を曲がる」について

響の主題歌である

こちらは未だにCDとして出てはいない。

おそらく平手や監督(月川翔)の意思だからだと思う。

 

響の公式サイトでこのようなコメントがある(主題歌 映画『響 -HIBIKI-』公式サイト

簡単に説明すると、「監督がソロ曲(平手友梨奈の歌声)で主題歌をつかたらどうかという提案があったこと、しかし、平手は『自分が前面に押し出されるのは望ましくないのでは』と懸念したこと、監督もそれを懸念していたが、作品をよりよくするためと説明。

結果、平手友梨奈のソロ曲と宣伝することもなくエンディング曲になった。」

 

これはよくわかる。これはいい。これらを考慮してのCD発売もなく、欅坂のカップリング局として扱われることもなかったんだと思う。

それはわかる。

 

では、2019年になってからの「角を曲がる」の楽曲の扱われ方について振り返る。

 

9月19日 東京ドームのWアンコールにて披露

     MVがYouTubeにて公開

10月9日 サブスク(Apple MusicやLINE MUSICなど)解禁

12月27日 ミュージックステーション11時間生放送にて披露

 

どうしてこんなことに?

 

補足するがMVは響の予告を公開した東宝の公式チャンネルではなく欅坂の公式チャンネルで公開された。

また、映画の主題歌という旨は一切かかれていない

 

Mステも映画の主題歌であることを押し出すどころか「18歳等身大のメッセージ」とテロップが出る程である。

映画の主人公である響は15歳である。

しかも、平手直筆の歌詞が映し出されたが、この作詞は秋元康である。

18歳等身大のメッセージを書いたのは秋元康である。

なにがなんだかわからない。写経をすごいみたいに見せないでほしい。

表現力がすごいとしてもそれは与えられた楽曲を表現する力であってその人の感情そのものではない。

 

話を戻すが、響のために作られたようなことを言っている割には思い切り「平手友梨奈のソロ曲」であることが強調されすぎている。

 

というか、映画の主題歌であったことを伏せすぎた上に映画主題歌であることを取り上げなかったばかりにより一層「平手友梨奈のソロ曲」になってしまっている。

 

公開して経つから、と言われても、先のHPで公開されているコメントでは「主題歌に関しても本編の一部だと感じていただけたら」と言っている。

 

映画公開終了したらあとになってBDやDVD、配信サービスで見る人を考えないのか?

 

MVについてだが、これを作ろうと言い出したのは平手である。

(※個人のツイッターアカウントの、イベントのレポに書いてあったものなため信憑性は少し低いと思う)

 

前回の記事で活動履歴について長々と書いたが、これらを踏まえると休めというより先に最低限の、欅坂として与えられた仕事(ユニエアやブログ、冠番組である)をやってくれと思う。

出来ないなら出来ないでブログでもなんでも説明くらいはほしい。

 

MVを撮ろうと公開しようと勝手ではある。ハッキリ言ってそこはまあ別に問題ではないと思ってる。

が、

監督と話し合ってCD音源化を控えたり、映画公開まで主題歌情報を伏せられたくらい、さらに、MVを撮りたいということも言い出せる状況で、

サブスク解禁、

特番で披露、

演出も「欅坂の平手友梨奈」を押し出す演出

MVも衣装が響の制服ではない制服、

 

これはなに?

 

終わった途端映画の一つの要素であった歌をここまで欅坂の平手友梨奈として披露していくのか?と思ってしまった。

 

これらは確かに勝手に運営がやったのかもしれない。

サブスク解禁もなにもかも本意ではないのかもしれない。

 

が、ライブのWアンコールはどうなる?

 

2019年6月号のROCKIN'ON JAPANでほぼすべてのライブの演出に関わっていることが明かされた。

 

ドームは9月なので、ドームの演出に関わっているかははっきり言ってわからない。

だが、演出に関わっていけたほどの人間が、映画のソロ曲についてあまり乗り気ではなかった人間は今はこれだけ「欅坂の平手友梨奈のソロ曲」として世に出ている。

ここの発言と活動内容にブレをどうしても感じてしまう。

 

 

「演技は嘘をつくこと」

2018年9月13日の記事で月川監督がこのようなことを言った

 

彼女がずっと悩んでいたのは、「演技をすることは嘘をつくことにならないか?」ということ。要するに「今まで、平手友梨奈として嘘をつかずにやってきた。それが台無しになってしまうのが怖い」と。

(引用元 欅坂46・平手友梨奈「演技は嘘をつくこと?」悩みの果てに見えたヒロイン像(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

 

 

”要するに”がどこまで要約されたことかはわからない。

「今まで」が監督の解釈によるものなのか、平手が実際にそう言ったのかはわからない。

 

ただ、平手はこれまでにドラマ「徳山大五郎を誰が殺したのか?」「残酷な観客達」で演技経験がある。

 

”今まで”が監督の解釈によるものではないのなら2作も出たのにないものになったのか?と問いただしたいし、この時点でいくつものMV撮影があったのに演技に抵抗があったことにも驚きだし、というかアイドルって少なからず演技の面があるのではないか?自分が書いていない詞の歌をそれに合った表現をするものではないのか?

 

というか、それ映画の話を受けた段階で思うことなのか?この会話あったのいつ?

 

疑問が渦巻くエピソードだった

 

 

その他

他にも、リハーサルが乗り気じゃなくてサボってディズニー行ったり、

番宣(しゃべくりやTOKIOカケルなど)に出てる間もその後も冠番組に出ないし一切ブログで告知もなにもないだとかで不信感が募る。

ここまでやったしやっていたのに冠番組の欠席や歌番組での(言い方悪いが)まともなパフォーマンスをできない理由が見当たらない

 

 

波紋が広がる9thについて

11月16日の記事にこんなものがある

【内部崩壊する欅坂46】中心メンバー・鈴本美愉がマルタ共和国に留学、帰国後卒業「グループに疲れちゃった」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

9thは平手が首を横に振ったからリリース延期になったというもの

この記事は文春が書いたものである。信憑性は低いだろう。

 

 

そして、12月8日に欅の公式サイトにて正式なお知らせがきた

9thシングル発売に関しまして | ニュース | 欅坂46公式サイト

 

馬鹿か?

 

「より良い作品を追求して行きたい」だからリリース遅れますってそんな子供も言わないような理由をいい大人が告知するとは思わなかった。初めて見た

 

文春の記事が事実であるかのような理由である。

というか、わざわざこんな文章を出すということは欅運営は文春のこの記事を知っているとしか思えない。こんなに内容が合致することはあるのだろうか。

 

普通「制作上の都合で」とかもっと濁したまともな言い方をするものではないのか。

「当初の予定通りにいかなかった」とか幼稚な理由であれあんなピンポイントな内容は避けるものではないのか。

 

さて、平手ただ一人が撮り直しさせるように言ったのかはわからない。

そこはどちらでも構わない。問題は撮り直しではないと思うから。

 

問題は、いくら公式からのお知らせと文春が一致する箇所があってもそれを受け入れるオタクの空気が出来上がってしまったことだ。

 

普通に考えてたかがメンバー一人の意見で撮り直しするとも延期するとも思えない。

メンバー総意だとしても一曲に作詞家、作曲家、MVを撮る監督やカメラマン、ロケ地を確保する時間、準備、そしてCDを販売する通販サイト等様々な人が関わってくる。

それを撮り直しできるとは思えない。

 

ではなぜ信じる人が多いのか、それは今まで平手の待遇が良すぎたからだ

 

前回の記事で活動履歴について簡単にまとめたが、欅坂としての仕事をまともにやってない状況である。

 

また、欅坂46運営委員会委員長を務める今野義雄はこう話した

平手は人一倍エネルギーを使って、作品をピュアに表現しようとしている分、ベストコンディションをキープするのが難しいこともありました。そのため『1年中全力疾走を続けるのではなく、違うやり方も考えよう』と本人と話しました

(引用元:欅坂46、4年目の変革期 団結力が増し個性が開花|エンタメ!|NIKKEI STYLE

これは2019年6月2日の記事だ。

詳しい”やり方”はわからないが、 同年7月、9thの選抜発表では平手をセンターにしている。

これで9th連続センターである。一年中全力疾走を続けないやり方とは?

まさかそれが全ツでほぼ欠席からの二日間ドーム出演、特番ではグループで披露後にソロ曲披露なのか?

けやかけにも出ないことなのか?ユニエアの収録をしないことなのか?

 

シンクロニシティのデモの話からし秋元康と仲がいいこともわかる。

総合プロデューサーと特別仲がいい状況は贔屓ではないかと疑わないか?

 

今までの待遇の異様さが今回の件を引き起こしたと思う。

そこが問題だと思った。

 

 

歌を届けたいのか、好きな歌だけを届けたいのか

2019年6月号のROCKIN'ON JAPANで「シンクロニシティ」について語った。

その楽曲に対する思いになんら悪いところはない。

 

デモ曲を秋元康に聞かせてもらって絶対やりたいと思ったが欅坂ではなく「まさかの乃木坂さんになっちゃって」と思うのは無理はない。デモ曲を聞かされたのだから。

そのような待遇がまず異様な気はするがそれは秋元が悪いのであってそれを自覚できない平手は全く悪くない。

 

問題は、大阪アニラで実際にやってしまっている上で「アニラの大きな目玉」「すごく好きな歌だから届けたいと思ってた」という発言である。

 

もうとっくに乃木坂がこの歌を届けている。

当たり前である。これは乃木坂の曲なのだから。

 

披露したい、ならわからなくもないが「届けたい」とはどういう意味だろうか。

また、アニラは欅坂のステージである。

 

平手のシンクロをやりたいという意思で他のメンバーもいるのに別のグループの歌を披露する状況はいかがなものか。

 

平手が欅坂として欅の楽曲を届けたいのか、平手が自分の好きな楽曲だけを披露したいだけなのかわからなくなった。

 

 

まとめ

前回の記事と比べて遥かに感情的になってしまった。

 

平手は今なにを考えて欅坂として活動しているのかまるでわからない。

発言内容からして運営と話す時間を設けているようだし、ライブの演出やプロデューサーとの会話などかなり発言力のある立場にあるのではないかとうかがえる。

 

ソロ活動といっても遜色ない、欅メンではなく本当のバックダンサーでも違和感の生じない活動しかしていないように感じる。

 

欅の楽曲が好きなのかと思えば別グループの歌を、既に世に出された別グループの歌を「届けたい」と言う。

 

映画の響という作品を大事にしているのかと思ったらそうでもないような発言や活動も目立つ。

 

なにがしたいのかわからない。

実際なにをしたいのかわからなくたっていいが、最低限のグループの仕事をしてない人が活動内容、怪我といった事実と発言内容がブレていてこちらとしては「なんでもいいから冠番組とユニエアくらいやってくれ」と思う。

というか、それらをやらないけどでも擁護できる部分があったがいよいよなくなってきたし肝心の歌やライブすらこの有様だから「仕事を選ぶな」と思ってしまう。

 

なにをしたいのかハッキリ言うか、活動内容で示せばそんなことは特に思わない。

 

憶測でしかないが、「歌でも演技でも自分の良い(=自分の感性に合う)と思ったものを表現したい」「大人(特にオタク)が無理」かなと思ってはいる。

 

それならば、不調の中でも学校へ訪問してダンスを教えるだとか、学校がコンセプトのラジオ(リスナーは投稿を見る限り中高生がほとんど)もわかるし、

不調でも意地でもライブに出演するのはわからなくもない。

憶測だが。

 

 

また、運営は実際何が起こってるのかわからない。

運営側も秋元のお気に入りをどう扱うべきか、話題性のある平手をとにかく使い潰したいのか、本当に手に負えない人になっているのかわからない。

 

だが、そろそろ重荷を下ろすという意味でも、単に他の人を見たいという意味でも平手センターを外すべきだと思う。

 

また、この異様な待遇をどうにかしてほしい。

月1で短文でもいいからブログを書かせるだとか(平手に限らず梨加や上村にも言えることだが)、けやかけに出させるとか、いい加減ユニエア収録をさせるだとか、この平手一強体制と呼ばれるパフォーマンスの状況に反して最低限の仕事をやらせない状況をなんとかしてほしい。

 

運営が平手を本当に手に負えない人だからなにもしないのか、

一部(なんの告知もなく)制限させて使い潰したいのか、

本人がやりたいことだけ自由にやらせやりたくないことは咎めないのか、

最低限の仕事すらまともにさせないのにセンターやドームといった大舞台のみ決めるカリスマに仕立て上げたいのかわからない